2013年2月8日金曜日

子どもをよく見てくれる園(保育者)とは

あの園は、子どもをよく見てくれるから安心とか

この園は、よく見てくれないとか

あの先生は、よく見てくれる、見てくれない

・・・・・・など

という会話をたまに耳にすることがありますが、
いつもの悪い癖で深く考えていまいます。

どういうことが、よく見ると言うことなのでしょうかね?

子どもが困っていたら声を掛けているとか?

危ないことをしていたら止めてくれるとか?

ケンカをしていたらやめさせて仲直りさせてくれるとか?

子どもをひとりぼっちで放っとかないとか?

などと、
くまなく監視をして、すかさず対応している
ということなのでしょうか?

確かにこの様に思いがちですが、
こういうことを望んで言っているのだとすると、
間違っているとおもいます。

これらの経験は、子どもたちがこれから人格を
形成していくのに必要な経験だからです。

子どもをよく見る、見てくれるというのは、
その子の発達をよく見ているかどうかです。
そして、その子の発達に必要な経験を
保障しているかどうかです。

ちなみにうちの園の先生たちだったら

子どもが困っていても、
その困ったという目の前の壁を超えるための
情報収集に必要な時間を与えたり、
現時点の発達で、どのように超えようとするのか?
また、どこまで超えられるのかを知るために
あえて声を掛けないでしょう。

多少の危ないことなら
危険を知ってその後の自制につながるので
あえて止めないでしょう。

ケンカも安易に止めるのではなくて、
気の済むまで自己主張をぶつけ合わせて
そのあと自分たちでどこまで解決ができるのかを
見るためにあえて止めないでしょう。

子どもがひとりぼっちでいても、
その原因とじっくり向き合っている時間を
取り上げないためにあえて放っとくでしょう。

こららは一見、すごく冷たい対応のように見られます。
しかし、ほんとうにそうでしょうか?

思慮深く真の愛情をもってしないと
このような保育はできないと思います。

教育は、人格の完成を目指しています。
(教育基本法)

幼稚園の教育は環境を通した指導を基本としています。
(幼稚園教育要領)

子どもは、環境に自ら働きかけることによる
相互作用によって発達します。
(保育所保育指針)

どうでしょうか・・・・・

よく見てくれる
を理解ができたでしょうか?


2013年2月6日水曜日

体罰

このブログの趣旨とは違うのですが、
いま世間を騒がせている、あの問題について
書いてみようと思います。

どこまでが指導で、どこからが体罰なのか?

万人共通のラインを引くのはすごく難しいと思います。

しかし、体罰はダメなものなのですから、

今回の騒動を期に、敏感すぎる人たちは
どんなに軽くコツンとしようが、
どんなに深い愛情が背景にあろうが、
そんなことは関係なく、
なにかと体罰!体罰!となるでしょう。

特にスポーツ指導の世界では、
体罰方式が主流ですので
これからも過去の体罰などが
問題として取り上げられることが
多くなると思います。

では、
体罰は必要なのか?そうでないのか?
と考えてみます。

どんな時に体罰が生まれるのか?

もっと成果を上げたいのに
“いくら言っても出来るようにならない”
“いくら言っても分からない”

という時です。

もっと成果を上げたいと思うのは、
その成果によって自分が評価されるからです。
その評価でお給料をもらっているとすれば、
なおさらですよね。

体罰を生むのは指導者だけの問題ではなくて、
その指導者に評価を下す立場の人たちからの
見えないプレッシャーも影響していると思います。

上司や保護者など指導を依頼した人であったり。

このように考えてみると、
この渦の中心にいる、指導をうけている本人は
完全なる被害者ですね。

しかしこれからは多くの指導者が体罰に対して
緊張感を持ちますから、すくなくなるのは確実です。


そこで!
これまで体罰を含め厳しい指導によって
成果を上げてきた指導者達は、
成果を上げられなくて非常に困るでしょうね。

スポーツ界や教育界だけでなく
もしかしたら家庭での関わりなども
考えさせられるかもしれません。

さて実は、ここまでは前置きでした。

体罰が大問題になっているので、
今後は、全く逆の体罰を必要としない指導方法や
育成方法が注目されていくと思います。

体罰方式が主流できた中でも
すでにこのような指導で成果を上げている
指導者たちがいますので、その人たちのもとへ
人気も集中してくるのではないでしょうかね。

多くの指導者は、その指導法を学ぼうとするはずですので、
一気にその指導法が広がっていくと思います。

その指導法は、選手達が試合などの反省から
自ら課題をみつけ、それを埋めるための
練習法や練習量などのメニューを考えます。

試合にでるメンバーもポジションも
自分たちで考えたりもします。

要は指導者主導ではなくて
選手主導の指導方法です。

指導者主導の指導方法では、
教えられたことだけは、
完璧にこなせる選手の育成がされます。

選手主導の指導方法では、
状況に応じて柔軟に対応できる選手の育成がされます。

実は私自身もスポーツ指導をかじってきて
これまでのスポーツ指導の姿に多くの疑問を持っていました。
ですので、全く違う指導ができないかと、
良く考えることがありました。

何の縛りもなく自由に指導をさせてもらえるような
機会があったら、選手主体の指導をしたいと
具体的な方法を色々と考えていました。

ですので、選手主導の指導をしている
何人かの人たちの存在を知ることができたのです。


間違いなくこれからの日本のスポーツ指導は
進化し、更に高い成果を上げるようになっていきます。



選手主導?選手主体?

そうです!うちの園の保育は子ども主体です。

一斉管理の保育で、
〝みんなが同じことを同じ時間内で同じように〟
を平等だとし、やらされることだけをこなしていく
先生主導の保育では画一的な人間形成
がされていきます。

一人一人の発達も違う、個性も違う
バラバラの子たちが同じになるのではなくて、
子どもたちが子どもたちなりに
自由に過ごす中で起こる様々な課題に
リアルタイムで向き合っていけます。

個性や発達が違うので、
その子に必要なことは、
その子に必要なタイミングで出会います。

画一的な保育ではなく、
その子一人一人に応じた保育です。

この体罰問題が保育の世界まで飛び火してくれば
うちの園の様な保育が今後の主流になっていく
ペースが早まるのになぁと思った次第です。

先生主導の一斉保育だと


“いくら言っても出来るようにならない”
“いくら言っても分からない”

先生たちは、このような場面とたくさん出会います。

そうすると・・・・・・

手が出ないにしても

先生の態度や雰囲気はどうでしょうかね?

大人の圧力に子どもは屈しながら・・・・

指導者の圧力に選手は屈しながら・・・・・・

その時の結果さえ見せられれば
それで良いのでしょうかねぇ?

いつか子どもたちも告発文を送ってきたりして・・・・・・