2013年12月4日水曜日

新たな実践

昨年度末に薪ストーブを入れました。
 
そのことによって、今年は食育を意識した取り組みが
柔軟になってきました。
 
これまでも薪ストーブで
焼き芋、未就園児のクッキング活動、
きのこ炒めなどをやっていました。
 
今日は発表会3日前にもかかわらず、
ほうれん草を収穫してクッキングしていました。 
 
年少さんの先生が中心になって始めたようです。
 
「ほうれん草クッキングをやるからね~」
と全体に放送を入れたのでしょうかね? 
カブも何個かありました。 
興味を持った子たちが集まってきていました。
年齢はバラバラです。 
 
ストーブの上で炒め始まりました。
シャキシャキのほうれん草が
しなしなになっていきます。
 
バターと醤油で味付けを・・・・
 
「良いにおーい♪」
先生と子どもたちが共感し合う中で
 
「ベーコン買ってくればよかった~」
と先生が・・・・・
 
出来上がったら、今までいなかった子も
いつの間にか集まっていました。
 
手に乗せてもらって、手づかみで食べます。
これも、なかなかできない経験だと思います。
ちゃちゃっとクッキングができて、
スーパーの試食コーナーの様に
チョットずつ分けられて
もう一度並んで、またチョットもらって
 
説明の言葉はもういりませんね。 
ほうれん草を嫌いな子も
おうちで食べたことないと言う子も
 
みんな笑顔で「おいし~」と
あっという間になくなってしまいました。
 
少し前にもテラスでキノコクッキングを始めた先生もいましたね。
(先生たちの発見!で書かれています。)
 
新しい環境に先生たちが柔軟に反応し
新しい実践が次から次へと生まれてきます。
こういった日々の進化が園全体の進化につながっていきます。
 
以前から、“日々進化する園は良い園だ”と言われますが、
まさにそれを園長として実感中です。
 
単に遊具や物などが増えるということではなくて、
柔軟に保育を発想し展開していく先生たちの存在が
園の進化を生み出し、
良い園づくりの支えになっているのです。
 
先生たちに恵まれたなぁと
つくずく思います。
 
 
次はピザかな?クッキーかな?
 



2013年10月24日木曜日

先生主体<子ども主体

今日は年齢別で過ごしていました。
 
うちのような自由な保育をしていると、
理解のない人たちからは、
“ただ遊ばせてるだけ”とか
“ほったらかしてるだけ”とか
“教育じゃない”とか言われます。
 
子どもたちの様子を見てみましょう。

コマの紐の巻き方を子ども同士で教え合っています。
大人からすると「そうじゃない!」
と思うところがあるかもしれません。
未熟かもしれませんが、
自分で気づいたことを
その子なりのレベルですが
伝え合っています。
 
上手に回せると注目を浴び自信が育ちます。 
出来ない子たちが、
教えて!教えて!と
また集まってきます。
 
自由に遊んでいますが、
関わりが増えていく中で
上手に教えられても、結果が出なかったり、
上手に教えられなくても、
たまたま結果が出てしまったり、
という渦の中で
きちんとコミュニケーションを学んでいます。
 
子どもの興味を考え、学びのある環境を
意図的に用意しているのは先生です。
 
教育の目的は『人格の完成』ですよね。
用意された環境の中で
人格形成の基礎を培う経験ができていますね。
 
理解できると、きちんと見ることができますよね。
 
年少さんでは、先生ごっこをしている子たちがいました。
 
「前へならえ!」「なおれ!」
「好きなお友だちと手をつないで2人組になって!」
「はい出発します、ついてきてね!」
 
写真はとれませんでしたが、
こんな自由な遊びもそうです。
 
だれかの思い描くイメージに乗っかりながら
そのイメージの世界を一緒に楽しんでいます。
 
お友だちにと一緒にいることに
心理的安全基地ができあがっているので
遊びを通しながら自立が進んでいきます。
 
大人が望む“お利口さん”を強制していたら、
その反動がどこかでやってきます。
 
今は今に必要な過ごし方を
十分すぎるくらいにすることが
望む育ちへの近道になっていきます。
 
大人主体ではなく、子ども主体を保証し、
穏やかに、気長に、待ってあげましょう!
 
あとは、子どもを信じましょう!

2013年9月12日木曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

年長さんのリレーの様子です。
 
うちの園のリレーは、
子どもたちがバトンを繋いで走る。
という以外のルールはありません。
 
インコースからの追い越しもOK!
バトンをもらうのは、インコースでもアウトコースでもOK!
 
先生によるルールのすり込みはありません。
ルールの必要性に子どもが気づいたら
子どもたちによってルールが加えられていきます。
 
うちの園でリレーをするときの目的は、
ルールに則らせてスムーズに競争を楽しむ。
ことでは、ないからです。
 
『競争が大好き!』という子どもの特性を踏まえ、
5歳児に必要な友だちと気持ちを共有する。
という体験をすることを目的としています。
 
まず、チームごとに走る順番を話し合って決めます。
まだまだ話し合いは、そんなに上手ではありません。 
チームによっても話し合いのレベルは違います。 
子どもたちには、相手チームに勝つためには、
誰がどこで走るかの作戦が非常に重要だ。
と伝えてあります。
 
競争大好きな子どもたちは、
勝ちたい一心で話し合います。
 
のはずが・・・・・・・
 
今年の年長さんは・・・・・・
まず、バトンがつながりません。
誰と誰のあいだで走るかの意識よりも、
相手チームの誰と一緒に走るのか?
という意識だったのです。
 
差がひらくと一緒に走る人の姿がなくなってしまうので、
訳がわからなくなってしまって、
ゴールまでたどりつかない。
 
ゴールできても、
走っていない子がいる。
 
などなど、問題だらけでした。
 
うまくいかない経験を繰り返しながら、
いろんな必要性に気づき、
少しずつ整理されていって、
ようやく、昨日あたりから
ちゃんとバトンがつながってゴールできるようになりました。
 
やっと競争ができるようになりました。
 
やっとここからです。
 
相手チームに勝つための話し合いを
盛り上げるために、先生たちがやっていることは、
 
「ここのチームは話し合いが一番上手だなぁ!
この調子なら次は一位になるかな?」
 
「あっちのチームは、話しを聞いていない人がいて
話し合いがうまく進んでいないから、
次は、あそこばビリになっちゃうぞ!」
 
「お?さっき見に来た時よりも、話し合いが上手に
なっているような気がするなぁ。この調子なら一位になれるかも」
 
などと気持ちを盛り上げる言葉がけをしてあげます。
 
そして、先生は密かに、このチームだけ応援してるよ!
他のチームに内緒で、特別なことを教えてあげるよ!
というような演出で、それぞれのチームにこっそりと
アドバイスをしていきます。
 
結果が出た時に、一位になったチームに
こっそりとヤッタネ(^_-)-☆と合図をおくります。
 
このように特別感のある言葉がけを上手に使って
チームごとに達成感を味わえるようにしていきます。
このような体験を繰り返しながら、
子どもたちはどんどん自信をつけ、
生き生きと話し合いが進められるようになります。
 
今年の年長さんは、まだまだこれからですが、
どのように話し合いの内容や意識が
変わっていくか楽しみです。 
全員のかけっこのタイムを測定して
均等にチーム分けしてありますので、
走ることにかんしては、
どのチームが一位になるか
誰もわかりません。
 
転んだ、バトンを落とした、
バトンの受け渡しがスムーズにできなかった、
などなどといろいろな要因も影響してきます。
 
どのチームも勝ったり負けたりを繰り返し経験しながら、
気持ちを共有する経験を重ね、
話し合うレベルも上がっていくことでしょう。


2013年9月11日水曜日

子どもの育ちのニーズに応える

年3回ベネッセから勝手に届く
『これからの幼児教育』
という冊子が数日前に届きました。
 
その中に
 
「あきらめずに挑戦する力」が
育つために必要な経験
 
という、小タイトルの中に
 
【0歳から2歳】
同じ動作を繰り返すような遊びに夢中になりながら、
自分が好きなことを好きなだけやっていい
という安心感を経験する。
 
というものがありあました。
 
子どもの育ちのニーズに応えるためには、
今の時代は、3歳からという幼稚園では
遅い、難しい。ということを
私はいつも、言ってきました。
 
3歳までの育ちが各家庭によって
大きく違うからです。
 
例えば3歳児の幼稚園入園時に
オムツの取れていない子が多くいます。
 
保育園なら2歳児のうちに
取れてしまいます。
 
ですので、幼稚園の3歳児当初は、
保育園の2歳児と同じ
生活援助が必然的に多くなります。
 
幼稚園の3歳児がそこに時間を使っているうちに
保育園の3歳児たちは、先に進むことができるのです。
 
幼稚園は与えられた時間も期間も短い状況で
3歳児のスタート時点で保育園の子たちよりも
遅れているところからのスタートになるわけです。
 
幼稚園としては非常に辛いですね。
 
さて、そんなことで本題に戻りますが、
要するに、この0歳から2歳で必要とされる経験が
幼稚園では3歳児の子たちに
保証してあげないといけない。
というふうに考えないといけない。
ということです。
 
子どもの成長・発達は連続した関係で成り立ってますので、
間をとばすことはできません。
とばしたら先がつながってきませんので。
 
いろんな指針や指導書などに
年齢ごとに書かれているものは
そのままその年齢の保育で実践しようと
してしまいがちですが、
よーく考えたら、危ないですよね。
 
目の前の子どもたちが、
どの段階にあるのかを見極めて、
次の段階を見通して
保育をしないといけませよね。
 
書かれていることをそのままやってしまったら
連続性を無視してしまうことになりかねません。
 
自分が好きなことを好きなだけやっていい
とう安心感がどれだけで十分なのかも、
ひとりひとり違いますから
急いでとばして先に行かずに
慌てずじっくりと経験させてあげたいものです。
 
 
ということを先生たちと学びました。

2013年9月10日火曜日

子どもをよく見てくれる園(保育者)とは

夏休み中に先生たちが研修大会に参加してきました。
 
その報告の中に面白い報告があったので
紹介したいと思います。
 
その報告をしてきた先生が参加したフォーラムのタイトルは
『幼児の安全を守る保育と環境構成』です。
 
園内における保育活動の事故について、
問題提起者の事例報告では、
L字の廊下での衝突や
ロープネットからの転落などが挙げられていた。
 
それらの事故に対しておこなわれていた対処は
L字の廊下では止まれの文字と靴の形の表示や
ペットボトルに色水を入れて信号を置いた。
また、
ロープネットは、周りの柵にカバーをつけたり、
同じようなことが起こらないように
監視役の先生を一人置くようにした。
 
ということらしい。
 
さらに、グループ討議のなかでは、各園からは
ヒヤリとしたことやハッとした事例がたくさん挙げられ、
そういったことから、
必ず危険がある所には保育者を配置しているところや、
滑り台も暑い日は使用禁止というところもあった。
 
 
そのような話の流れでしたので、
うちの先生は話に入りづらかったそうです。
 
なぜかというと、うちの園では、
そのような配慮は、何もしていないからです。
 
そして、その先生は心の中で思ったそうです。
 
うちの園って、骨折や縫うといった大きな事故って
他の園が言うほど、起きていないよなぁ・・・・と。
 
それって
子どもを守りすぎてしまっていて、
危機察知能力や危機回避能力を低下させてしまっていることが
大きな事故につながっているのでは?
 
そして結論は
 
園として楽しさとは無関係で、ものすごく痛いこと
のハザード(危険の原因、危険物、障害物)は
取り除かなければいけないが、
遊びの中で楽しさが残り、少し痛いことの
リスク(危険性)は取り除かずに、
子どもたちがどういうことをすると危ないのかを
たくさん経験し、危機回避能力を高めて
いけるようにしなければいけないと思った。
 
ということでした。
 
私はいつもそのようなことを保護者にも言っていますが、
先生自身がその事実に気づくことができたのは
とっても良かったと思います。
 
100%の安全管理を目指した環境の中で育った子と
完全管理を全くしない環境の中で育った子とでは
どちらが良い育ちの経過をたどっていますかね?
 
今、怪我をさせないように安全について一生懸命に工夫をしてくれる園と
怪我をしてもなんの工夫もしてくれない園とでは
 
ほんとうは?
 
本当に子どもをよく見てくれる園なのは
どちらなのでしょうかね?
 
もう、わかってくださいね!
 
 
 
そう言えば!
 
何年か前だったか、だれかから聞いた話で
何かの研修か講演で、
どっかの大学の教授?か誰かが、
とある園名をあげて
そこの園は最低だとか?
ひどい?だとか
最悪だとか?と言ったそうです。
 
その園は行ったことがあって知っていました。
 
見守り保育?とか言って
 
監視役の先生が一人いて園庭を見張っているんです。
(鋭い目つきで)
 
子どもが間違ったことや危ないことをしているのを発見すると(゚o゚;;
 
すごい勢いで走って行って、すごい腱膜で怒るんです。
 
見守りじゃなくて『見張り』ですよ。

2013年8月23日金曜日

話し合い

さて、久しぶりのブログです。
 
 
最近の先生たちのブログを読まれて
子どもたちの『話し合い』というキーワードが
多く出てくるのに気づきましたか?
 
そうなんです。
 
うちの園の特徴の一つに
子ども同士の『話し合い』があります。
 
これは、ルールや方法などを
先生が先に決めてしまって、
“用意された状態で子どもがやる”
という経験よりも、
 
どのようにしてやっていくかを
イメージやアイディア、それぞれの気持ちを
共有しながらやっていくことに、
 
人としての育ちに不可欠な要素が
たくさん詰まっていると考えるからです。
 
子どもたちの混乱や失敗がなく
限られた保育時間の中で
スムーズに活動をこなすのには
先述したパターンの保育が良いでしょう!
「○○先生の保育は上手だね!」
と評価されるのもこちらですね。
 
しかし、そもそも保育の目的は?
 
その時間をスムーズに過ごす
ということではないですよね?
 
人としての育ちを保証することにつながる保育は、
子どもたちが混乱したり、失敗したり
だれかの気持ちに気づけたり気づけなかったり
などの、さまざまな試行錯誤の繰り返しにより
頭の中が発達していきますので、
そういった過ごし方ができる時間を与えている方です。
 
「○○先生の保育はぐちゃぐちゃ!」
「○○園の保育は保育じゃない!」
 
といわれるかもしれませんが・・・・
 
子ども同士の話し合いは
大人から見れば不十分なことばかりで
未熟な話し合いです。
 
しかし、子ども自身が不十分なことに気づき
考え直してみることの繰り返しや積み重ねによって
話し合いの力もついてきます。
 
最近は、ディベートだとか対話だとかが
大切だとか言われているようですが、
 
子ども同士のやり取りに大人が関与しすぎては
対話力どころか人としての育ちの確かな力も
育ちませんね。
 
たとえば子どもが自分で服を着る
ということで考えてみましょう。
 
はじめは、自分でできないからやってあげる。
2歳や3歳ごろになると部分的にとか
少しならとかできるようなる。
このころの関わりで、
 
①全部できないからやってあげる。
 
②できるところまでやらせて、できないところは手伝ってあげる。
 
どちらが正解ですか?
 
①の場合、いつまでたってもできるようにならないどころか、
いつまでもやってもらおうとするようになります。
やってもらえるので、なにも考える必要がありません。
しばらくすると大人は、もう○才なんだから一人でやりなさい!
と突き放します。
 
②の場合、指先の発達がより促されます。
順番や方法なども自分なりに
考えながらやるようになります。
そして、自然と自分の力だけでできるようになります。
それに加えて、この過程で得た
指先の発達や考える力は、
ほかの場面でも力を発揮してくれます。
 
どうでしょうか?
 
読んでくれた方の中で、
なにか整理されるものが、
あってくれたら幸いです。
 

2013年6月20日木曜日

異年齢保育

 
異年齢保育になり1カ月と少しが過ぎました。
 
先生たちのローテーションも1周してきました。
 
そこで、
先生たちは子どもたちの1カ月前と比べて
いろんな成長が見えたようです。
 
ずっと見ていると成長や変化に、気づきにくくなるものです。
しかし、ローテーションにより、離れている期間ができたので
気づくことができたのですね。
 
思わぬ副産物でした。
 
子どもの成長や変化に気づくタイミングが
早くなるということは、
 
子どもが認められたり、褒められたりの
頻度がさらに高くなり
 
さらに、必要な援助もより的確になりますので、
子どもの成長を見通した保育計画も、
より現実的なところで
作ることができるということです。
 
【しっかりと子どもの姿を捉えられる】
 
ためには、監視することよりも、
 
離れてみることの方が
 
効果的なんですねぇ。
 
今年も更に保育が進化したので、
新たな気づきもたくさん出てきます。
 

2013年6月5日水曜日

異年齢保育

異年齢での保育が始まり、1カ月が経とうとしています。
子どもたちが多角的視点で保育されるようにと、
期待をして先生たちが3グループを
ローテーションすることにしましたが、
さっそく、期待に応えてくれたようなので、
紹介したいと思います。
 
異年齢保育で大事なのことの一つは、
子ども同士の関わりをいかに促すか。です。
 
教えたり教えられたり、助けたり助けられたり、
などなど・・・・
 
ある先生がグループを移動したとき、
前のグループに比べて次のグループでは、
年長さんの助けようとする姿が少なく
自分自分という子が多かった。
 
少しずつ促してみると、女の子たちが
助けてくれるようになり、
自分から困っている子を見つけては
声をかけてくれる姿もあった。
 
3日後
 
シールを張る場所を教えてもらった年少さんが
次に来た困っている年少さんに「ココだよー」と
教える姿があった。
 
さらに3日後
 
年少さんが困っていたり、こぼしたりという姿があると
率先して雑巾を取りに行ってくれたり、
一緒になって拭いてくれるなど協力し合う姿が多くなってきた。
 
とういうことがありました。
 
先にグループを担当していた先生の能力が
至らなかったとかダメとかではありません。
 
それぞれの先生の能力や得意、不得意
または、保育中の視点は全員が同じとは限りませんので、
 
ローテーションすることで、その時その時に
それぞれの先生が気づいたことを
促しながら保育していきます。
 
こういったことで、子どもの発達が多角的に
支えられていきます。
 
逆に言うと、
一人が一つのクラスに固定して保育するということは、
その一人の能力や視点に偏って保育されるということです。
 
こう考えると、よっぽどのマルチな才能と
広い客観的視野の持ち主でないと、
一人では質の高い保育は保証できませんね。
 
そんな人いたとしても、どれだけいるのでしょうかね?
 
それはさておき、今後もそれぞれの先生たちの
タイムリーな気づきによって日を重ねるごとに
保育の効果は上がっていくでしょうね。
 
今後が楽しみです。

2013年5月23日木曜日

世界水準の保育

保育参観が最終日でした。

期間中にオランダの教育=イエナプランの映像を
見てもらいましたが、教育観は当園と一緒でしたね。

ビジョンが同じなので
真似をしていなくても、
具体的な教育実践の中に共通点が多いです。

異年齢グループで学んでいること。

話し合いは車座であること。

競争ではなく、協力作業が多いこと。

自由度が高いこと。

子ども主体であること。

などなど。

学力は日本より高いですが、
学力向上を目的とした教育システムではありません。

労働生産性も日本の約1.5倍ですが、
労働生産性の向上を目的とした教育システムではありません。

人間を育てることを目的とした教育です。

その結果として、おまけについてきたのが、
学力や労働生産性の向上などであったということです。


日本の教育も人格の完成を目指しているんです。

オランダと同じですよね?

しかし、その結果は?

オランダから3週遅れ!と言われています。

確か、7~8年くらい前までは、2週遅れって言われていました。

10年経たないうちにもう1週遅れてしまったんですね!!

今、なにができるのか?
できるようになったのか?
という結果ばかりに目を向けていたら、

強制的にやらせて、できるようにさせること
ばかりになってしまって
その結果、
目標からずれてしまうんですね。

今、なにを学んでいるのか?
という過程に目を向けていれば

おのずと目指した結果につながっていく。
しかも、おまけつきで!


何が大事かを、しっかりと見つめられなければいけませんね。


2013年5月22日水曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

保育参観2日目でした。

昨日は、泣いてしまう年少さんがいましたが、
今日は落ち着いていましたね。

子どもたちがお集まりするところから
ご覧になれたでしょうか?

細かい指示や指導が無くても、
子どもたちだけで静かに
お集まりする姿を見て
改めて思ったのは、

年齢別保育では、年中・年長さんは
これまでの経験から
スムーズにお集まりできるでしょう。

しかし、年少さんが同じようには
なかなか難しいです。

しかし今日は、どのグループも
大きな混乱なく子どもたちだけで
お集まりができていたのは、
異年齢のグループ編成だからでしょう。

異年齢のグループ編成は
今日始まったわけではないので、
これまでの関わりで
教えられたり、やってもらったりは
当然ですが、

一番影響があったのは、
身近に見て真似ることができる
モデルの存在があったからでしょう。

その後の活動でも、
年少さんだけのグループでは
管理や指示を多くしないと
成り立たないようなことが

子ども主体で成り立っていました。

重要なのは、先生の管理・指示・強制によって
やらされてできている姿ではないということです。



2013年4月10日水曜日

伝え合う、教え合う保育

新年度が始まって3日目です。

↓4歳児のお部屋です。

ゾーニングもリニューアルされました。
まだ揃っていない家具もありますが、
これまでより更に有効的なスペースの
使い方になっていると思います。

進級児ですので、お部屋の使い方は
すぐに慣れてしまっています。

ここに弟や妹などの年少さんが
混ざっているときがあります。

遊び方や使い方はその都度、教えてくれる子がいるので
スムーズに活動ができています。


しかし、新入園児(2・3歳児)のお部屋は、
全員が初めての環境なので、
遊び方や片づけ方を誰も知りません。

“このお部屋で過ごすことの楽しさを知っている”
ということや
“お部屋のそれぞれのゾーンの使い方を知っている”
ということや
“整理や片づけ方を知っている”
などということに関しての
個人差が無いので
子ども同士の伝承がありません。


遊び出せば、ぐちゃぐちゃのばらんばらんです。
少しすると魅力的な空間では無くなってしまいます。

ですので、お部屋の中の遊びは発展していきません。

魅力的な空間である時間が長くなり、
遊びが発展するようになるのには、
まだまだ時間がかかります。

しかし、異年齢で過ごすようになると
個人差が必然的にありますので、
子ども同士の伝承がおこなわれます。

大人からの伝承よりも、
子ども同士の伝承を多く促すと
子ども同士の人間関係もよくなり、
お互いの子の発達にも
プラスの影響が多くなります。

年少さん(2・3歳児)のお部屋が
環境としては一番充実しているので、
出来るだけ早く機能するようにしたいものです。

2013年4月8日月曜日

育ち合う保育

今日から新年度がスタートしました。
先週金曜の入園式は、桜が満開でしたが、
週末の荒天で、すっかり葉っぱが
多くなってしまいました。

さて、登園の様子です。↓
昨年度の後半は、異年齢で過ごしていたので、
小さい子の面倒は、もうお手のものです。

安心してみていられたのと同時に、
自然とたくましさオーラが感じられました。

不安いっぱいの新入園児に対して、
少しでも安心しやすい環境を用意できたかな?

と思います。

さて、他にも新入園児に対しての
先生たちの特別な配慮が
幾つも見られました。

例えば・・・・

かばんを背負ったまま遊んでいる子。

お兄ちゃんやお姉ちゃんにくっついて
上の学年のお部屋で過ごしている子。

先生にだっこしてもらっている子。

落ち着くまで、一人で存分に泣かせてもらっている子。

自分のお部屋ではなくても、
興味をもったもので遊ばせてもらっている子。

・・・・・などなどと

子どもたちのために少しでも充実できる環境に
してあげようと、預かり保育の先生や事務長まで
職員が総出で対応し、

本人が十分に満足できるまで
その時間が保障されていました。

子どもの心理を無視し、大人の都合で
無理矢理に形式にはめ込んでいくのではなく、
十分に子どもの心が満たされると
自然と大人が向いて欲しい方に向くものです。

このことは、ここ数年の実績から
先生たちも解っています。

強制が多いと価値観の狭い人間が作られます。
今すぐに結果を求めるのではなく、
少し先を見てあげながら、
今を充実させてあげると
心豊かな人間が作られることにつながります。



今はどの分野においても、過去の実践や常識にとらわれず
柔軟に新しいものをつくり出す工夫が求められていますよね。

これまで以上に視野を広げたいものです。

2013年2月8日金曜日

子どもをよく見てくれる園(保育者)とは

あの園は、子どもをよく見てくれるから安心とか

この園は、よく見てくれないとか

あの先生は、よく見てくれる、見てくれない

・・・・・・など

という会話をたまに耳にすることがありますが、
いつもの悪い癖で深く考えていまいます。

どういうことが、よく見ると言うことなのでしょうかね?

子どもが困っていたら声を掛けているとか?

危ないことをしていたら止めてくれるとか?

ケンカをしていたらやめさせて仲直りさせてくれるとか?

子どもをひとりぼっちで放っとかないとか?

などと、
くまなく監視をして、すかさず対応している
ということなのでしょうか?

確かにこの様に思いがちですが、
こういうことを望んで言っているのだとすると、
間違っているとおもいます。

これらの経験は、子どもたちがこれから人格を
形成していくのに必要な経験だからです。

子どもをよく見る、見てくれるというのは、
その子の発達をよく見ているかどうかです。
そして、その子の発達に必要な経験を
保障しているかどうかです。

ちなみにうちの園の先生たちだったら

子どもが困っていても、
その困ったという目の前の壁を超えるための
情報収集に必要な時間を与えたり、
現時点の発達で、どのように超えようとするのか?
また、どこまで超えられるのかを知るために
あえて声を掛けないでしょう。

多少の危ないことなら
危険を知ってその後の自制につながるので
あえて止めないでしょう。

ケンカも安易に止めるのではなくて、
気の済むまで自己主張をぶつけ合わせて
そのあと自分たちでどこまで解決ができるのかを
見るためにあえて止めないでしょう。

子どもがひとりぼっちでいても、
その原因とじっくり向き合っている時間を
取り上げないためにあえて放っとくでしょう。

こららは一見、すごく冷たい対応のように見られます。
しかし、ほんとうにそうでしょうか?

思慮深く真の愛情をもってしないと
このような保育はできないと思います。

教育は、人格の完成を目指しています。
(教育基本法)

幼稚園の教育は環境を通した指導を基本としています。
(幼稚園教育要領)

子どもは、環境に自ら働きかけることによる
相互作用によって発達します。
(保育所保育指針)

どうでしょうか・・・・・

よく見てくれる
を理解ができたでしょうか?


2013年2月6日水曜日

体罰

このブログの趣旨とは違うのですが、
いま世間を騒がせている、あの問題について
書いてみようと思います。

どこまでが指導で、どこからが体罰なのか?

万人共通のラインを引くのはすごく難しいと思います。

しかし、体罰はダメなものなのですから、

今回の騒動を期に、敏感すぎる人たちは
どんなに軽くコツンとしようが、
どんなに深い愛情が背景にあろうが、
そんなことは関係なく、
なにかと体罰!体罰!となるでしょう。

特にスポーツ指導の世界では、
体罰方式が主流ですので
これからも過去の体罰などが
問題として取り上げられることが
多くなると思います。

では、
体罰は必要なのか?そうでないのか?
と考えてみます。

どんな時に体罰が生まれるのか?

もっと成果を上げたいのに
“いくら言っても出来るようにならない”
“いくら言っても分からない”

という時です。

もっと成果を上げたいと思うのは、
その成果によって自分が評価されるからです。
その評価でお給料をもらっているとすれば、
なおさらですよね。

体罰を生むのは指導者だけの問題ではなくて、
その指導者に評価を下す立場の人たちからの
見えないプレッシャーも影響していると思います。

上司や保護者など指導を依頼した人であったり。

このように考えてみると、
この渦の中心にいる、指導をうけている本人は
完全なる被害者ですね。

しかしこれからは多くの指導者が体罰に対して
緊張感を持ちますから、すくなくなるのは確実です。


そこで!
これまで体罰を含め厳しい指導によって
成果を上げてきた指導者達は、
成果を上げられなくて非常に困るでしょうね。

スポーツ界や教育界だけでなく
もしかしたら家庭での関わりなども
考えさせられるかもしれません。

さて実は、ここまでは前置きでした。

体罰が大問題になっているので、
今後は、全く逆の体罰を必要としない指導方法や
育成方法が注目されていくと思います。

体罰方式が主流できた中でも
すでにこのような指導で成果を上げている
指導者たちがいますので、その人たちのもとへ
人気も集中してくるのではないでしょうかね。

多くの指導者は、その指導法を学ぼうとするはずですので、
一気にその指導法が広がっていくと思います。

その指導法は、選手達が試合などの反省から
自ら課題をみつけ、それを埋めるための
練習法や練習量などのメニューを考えます。

試合にでるメンバーもポジションも
自分たちで考えたりもします。

要は指導者主導ではなくて
選手主導の指導方法です。

指導者主導の指導方法では、
教えられたことだけは、
完璧にこなせる選手の育成がされます。

選手主導の指導方法では、
状況に応じて柔軟に対応できる選手の育成がされます。

実は私自身もスポーツ指導をかじってきて
これまでのスポーツ指導の姿に多くの疑問を持っていました。
ですので、全く違う指導ができないかと、
良く考えることがありました。

何の縛りもなく自由に指導をさせてもらえるような
機会があったら、選手主体の指導をしたいと
具体的な方法を色々と考えていました。

ですので、選手主導の指導をしている
何人かの人たちの存在を知ることができたのです。


間違いなくこれからの日本のスポーツ指導は
進化し、更に高い成果を上げるようになっていきます。



選手主導?選手主体?

そうです!うちの園の保育は子ども主体です。

一斉管理の保育で、
〝みんなが同じことを同じ時間内で同じように〟
を平等だとし、やらされることだけをこなしていく
先生主導の保育では画一的な人間形成
がされていきます。

一人一人の発達も違う、個性も違う
バラバラの子たちが同じになるのではなくて、
子どもたちが子どもたちなりに
自由に過ごす中で起こる様々な課題に
リアルタイムで向き合っていけます。

個性や発達が違うので、
その子に必要なことは、
その子に必要なタイミングで出会います。

画一的な保育ではなく、
その子一人一人に応じた保育です。

この体罰問題が保育の世界まで飛び火してくれば
うちの園の様な保育が今後の主流になっていく
ペースが早まるのになぁと思った次第です。

先生主導の一斉保育だと


“いくら言っても出来るようにならない”
“いくら言っても分からない”

先生たちは、このような場面とたくさん出会います。

そうすると・・・・・・

手が出ないにしても

先生の態度や雰囲気はどうでしょうかね?

大人の圧力に子どもは屈しながら・・・・

指導者の圧力に選手は屈しながら・・・・・・

その時の結果さえ見せられれば
それで良いのでしょうかねぇ?

いつか子どもたちも告発文を送ってきたりして・・・・・・