さて、久しぶりのブログです。
最近の先生たちのブログを読まれて
子どもたちの『話し合い』というキーワードが
多く出てくるのに気づきましたか?
そうなんです。
うちの園の特徴の一つに
子ども同士の『話し合い』があります。
これは、ルールや方法などを
先生が先に決めてしまって、
“用意された状態で子どもがやる”
という経験よりも、
どのようにしてやっていくかを
イメージやアイディア、それぞれの気持ちを
共有しながらやっていくことに、
人としての育ちに不可欠な要素が
たくさん詰まっていると考えるからです。
子どもたちの混乱や失敗がなく
限られた保育時間の中で
スムーズに活動をこなすのには
先述したパターンの保育が良いでしょう!
「○○先生の保育は上手だね!」
と評価されるのもこちらですね。
しかし、そもそも保育の目的は?
その時間をスムーズに過ごす
ということではないですよね?
人としての育ちを保証することにつながる保育は、
子どもたちが混乱したり、失敗したり
だれかの気持ちに気づけたり気づけなかったり
などの、さまざまな試行錯誤の繰り返しにより
頭の中が発達していきますので、
そういった過ごし方ができる時間を与えている方です。
「○○先生の保育はぐちゃぐちゃ!」
「○○園の保育は保育じゃない!」
といわれるかもしれませんが・・・・
子ども同士の話し合いは
大人から見れば不十分なことばかりで
未熟な話し合いです。
しかし、子ども自身が不十分なことに気づき
考え直してみることの繰り返しや積み重ねによって
話し合いの力もついてきます。
最近は、ディベートだとか対話だとかが
大切だとか言われているようですが、
子ども同士のやり取りに大人が関与しすぎては
対話力どころか人としての育ちの確かな力も
育ちませんね。
たとえば子どもが自分で服を着る
ということで考えてみましょう。
はじめは、自分でできないからやってあげる。
↓
2歳や3歳ごろになると部分的にとか
少しならとかできるようなる。
↓
このころの関わりで、
①全部できないからやってあげる。
②できるところまでやらせて、できないところは手伝ってあげる。
どちらが正解ですか?
①の場合、いつまでたってもできるようにならないどころか、
いつまでもやってもらおうとするようになります。
やってもらえるので、なにも考える必要がありません。
しばらくすると大人は、もう○才なんだから一人でやりなさい!
と突き放します。
②の場合、指先の発達がより促されます。
順番や方法なども自分なりに
考えながらやるようになります。
そして、自然と自分の力だけでできるようになります。
それに加えて、この過程で得た
指先の発達や考える力は、
ほかの場面でも力を発揮してくれます。
どうでしょうか?
読んでくれた方の中で、
なにか整理されるものが、
あってくれたら幸いです。
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