2011年11月29日火曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

発表会の予行練習が無事終わりました。

心配していた、進行の
『仕込み』『やらせ』疑惑ですが、

先生たちのブログで
説明がありましたね。

学年に応じて上手に援助しながら
子どもの主体性をつくり、
決めていったようですね。

心配ご無用でした。


今日の率直な感想ですが、
歌は、どの学年も元気いっぱいでした。
(バスの中で大合唱になるほどですから)

その他は、その子らしさや、
その子の段階がよく見えました。

その姿が決して、悪いわけではありません。

一人一人発達の差があるわけですから。
もしかしたら本番当日は、それだけでなく、
心境の差も出るかもしれません。

プレッシャーを感じる度合いも違いますし、
緊張の度合いも違います。

細かく言ったら一人一人に、
沢山の『差』があるわけですから
みんな同じとはなりません。

それぞれが未熟なりに、
今できる最大限の表現をします。

発表会を作る過程も、当日も
子どもが主役です。

誰かと比べたりせず、
その子のありのままの姿を
温かく受け入れてあげたいものです。

2011年11月28日月曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

明日は、発表会の予行練習です。

これまで、子どもに主体性を持たせる
工夫をしながら取り組んできました。

子どもたちが誰かを選ぶ『オーディション』

子ども同士の認め合いや
教え合いを促す『見せ合いっこ』は

情報としても定着しているかと思います。

その他にも、
子どもの話し合いとしては、

その日の時間の使い方をどうするか?を
子どもたちが意見を出して決める。

明日の目標を自分たちで考えて決める。

自分たちで頑張る内容を考えて決める。

などが日常的に行われていることが
先生たちの週日案から読みとれます。

先生が子どもたちに、やらせるのではなく、
子どもたちがやろうとしていることが
自分たちの力で出来上がっていく感覚を
味わえるように、こっそり援助します。

先生が考える正解を押しつけたり、
そこに強引に導いていくのではなく、
『その子なりの考え方』や
『その子らしい考え方』と
きちんと向き合い尊重しながら
あくまでも、『自分たちの力でできた』
という経験をさせていくことに
教育の目指すところがあります。


子どもたちが自分で決めていますので
やらせなくてもやる気は十分です。

子どもが伸びるときは、その子自身が
興味・関心を持っている時や、
やる気になっているときです。

やりたいことをやっていますので、
この発表会を通しても
急激な成長を見せている子がいます。

例えば、年長さんで跳び箱を1段しか跳べなかった子が
数日間で、2段・3段・4段と記録を伸ばしている子がいます。

年長さんで1段しか跳べなかったということは、
得意でない、能力的に低い
という傾向の確率が高い子です。

しかし、自分でやる気を出した途端に
短い期間で記録が飛躍しているんです。

この経験が本人にとては大きいです。
また、その姿を見ている他の子たちに
与える刺激も、非常に大きいです。

早いうちに出来るか出来ないかは
重要ではありません。
早いうち出来るようにと『やらせて』
出来るようにさせるのは簡単ですが
その子にとっては、
後に残る確かなものは、
なにもありません。

早さではなくて、出来るようになるまでの
過程に重要な意味があるのです。

発表会の練習を通しても
何かが出来るようになるため
(身体能力的な成長だけでなく心の成長も)
の重要な意味を持つ経験を
沢山積み重ねています。


子どもにとっての最善の利益に
大きく貢献できることとなるでしょう。

2011年11月25日金曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

さて、発表会まであと1週間となりました。
練習は、お伝えしているとおりで
順調に進んでいるようです。

が、あることが気になってきました。

いままでは、進行も子どもたちが行ってきました。
今年も同様に行う予定でいるのですが、
そこに、落とし穴がありました。

先生たちの会話の中から、
進行役の子の練習の様子を聞いていると
どうも『仕込み』のようなのです。

しゃべる言葉は、決まっていることを
『仕込んでいる』し、
一連の動作も決まったものを
『やらせ』ているのです。

ですので、
「そうじゃない!」、「こうじゃない!」
「こうだ!」、「ああだ!」と
なってしまいますね。

これまでの形を、ただ繰り返しているだけや、
何の疑問も持たずにやっていると
子どもの育ちにとって何が良いのかを
考えることをしなくなってしまいます。

過去に依存することなく、
常識とされていることにとらわれず、
目の前の子どもをきちんと見つめ、
子どもの育ちに必要な確かな援助のために、
アイディアを出し続けなければ、いけませんね。

このことは、このブログを通じて
先生たちにも伝えた形ですので、
とりあえず今年は、このままやるしかないかぁ~?
と思っていますが、先生たちがどう考えるかですね。

どちらにしても、課題が見えたので
さらに良い方向へと向いていくと思います。

2011年11月21日月曜日

先生主体<子ども主体

今日は、久しぶりに降園時のバスを運転しました。

誰かが、鼻歌を歌い出すと
別の誰かが歌い出し、
また別の誰かも一緒に歌い出していき、
競うように大合唱になっていきました。
歌いたくて歌いたくてしょうがないようでした。

発表会の練習が楽しく出来ているのだなと感じました。

子どもたちは、気持ちに共感されたり
認められたりしながら自信を付けていきます。

その自信が育っているときは、
楽しくてしょうがなくなります。

まさに今がその段階なのでしょう。

毎日いろんな子が、いろんな子に認められる場を、
それぞれの担任たちが提供しているので
とても良い雰囲気で進んでいると思います。

その日、その日の具体的な内容は、
担任たちがどんどん書くと思いますが、
子どもが主体的に取り組んでいるから
後につながる「いろいろな力」が育まれます。

今、子どもが考えて決めたことを
親が受け入れられず、
親の希望を子どもに押しつけてしまうと
後につながる「いろいろな力」は
育まれなくなります。

劇などの役や、担当する楽器など、
すでに決まったものもありますが、
これから決まってくるものもあると思います。
何をやることになっても、
自分で「やりたい」と思ったこと
自分たちなりに一生懸命、考えて決めたことを
受け入れてあげてください。

先生も親もですが、
その時一瞬の小さな満足を取るか
後の大きな満足を取るかです。

当然、「後の大きな満足」を選ぶべきでしょう。

「なんで、そんなのにしたんだ!」
「それじゃなくて、こっちの方が良いだろ!」
「そうじゃなくて、もっと、こうしなさい!」
「へただなぁ~」などと
否定的な言葉は厳禁です。

「良いのを選んだね。」
「良く考えられたね。」
「良く頑張ってるね。」
「上手になってきたね。」
「まえより、上手になったね。」
などと、子どもの姿を認める
言葉を沢山かけられると最高ですね。

先生たちも子どもたちのことを考えて
このような言葉掛けをするようになって、
保育が楽しくなりました。

保護者のみなさんも、このような言葉掛けを
心掛けていくと子育てが、もっと楽しくなると思います。

一緒に実践していけると
「心豊かでのびのびとした子」
が育っていきます。

温かい気持ちで見守っていきましょう。

2011年11月17日木曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

ブログを書くのを少し休んでいるうちに、
先生たちのブログが頻繁に更新
されるようになってきました。

内容は、発表会に向けたところの様子ですね。

これまでに、重要なのは当日がどうだったかよりも
当日までをどのような経験をしながら過ごしたかです。
と保育参観、運動会、発表会などで
繰り返しお伝えしてきました。

しかし、保護者の皆様は実際に見られない、
または見にくい部分ですので、
伝わりが不十分な方も少なくなかったかと思います。

今回は、発表会に向けての部分が
先生たちのブログで伝えられていくと思います。

先生による「仕込み」とか「やらせ」ではなく、
どのようにして、子どもたちが作り上げていくか。


子どもたちが、
何をどう考えて選んで決めていくのか。

どんな認め合いや教え合いをしていくのか。

どんなことからお互いに
支え合って育ち合っているのか。

先生は、子どもたちの姿を
どんな思いで見守っているのか。

先生たちも環境の一つですので、
間接的な関わりを創造しています。

子どもたちの姿は、毎年同じではありません。
違っていて当たり前ですけど。

先生たちは、子ども一人一人に
いろんな思いがありますので、
育ちを発見したときの感動は
とても大きなものになります。

教え込んで出来るようにした姿ではなくて
自分自身の力で育ったんですから。
それを、ずっと信じてきたのですから。

その興奮を抑えながらブログを書いていると
思いますので、今後も楽しみにして下さい。




この発表会に向けての部分を通して
私たちの子どもの育ちへの
思いや工夫が見られることから、
保護者の皆様や、その他の多くの方の
理解にも影響が大きいかと期待をしています。

子どもたちの姿は毎年同じではありません。
先生たちもどんなことが起こるかわかりません。

社会というか世の中も同じですよね。
いつなにが起こるかは正確には分かりません。
起こったことを柔軟に
対処して日々生きています。

社会の中で「生きる力」を育てるのが教育です。
その時その時で、子どもの姿が
大人の感覚で評価される結果を求め、
子どもの姿を「仕込み上げていく」
のは、教育ではありません。

どうか、同じ目線で見られる大人が
増えていきますように・・・・・・。

2011年11月11日金曜日

新たな実践

年少さんのお部屋でまた新たな動きがありました。
登園してきてからの、出席シール貼りの場所が
混雑していて動線がスッキリしていないことから
2箇所になりました。

①今まで同様、実際の出席帳と
全く同じ見本で用意したバージョン

②普通のカレンダーで用意したバージョン


年度当初は、①で先生と確認しながらおこなっていました。
次第に先生がいなくても自分で確認しながら
出来るようになっていきました。
現在は、子どもだけでおこなっていますが、
混雑していることが多くなってきたようです。

そこで、レベルアップした②のバージョンを用意して
②でもできる子は、②の場所を選ぶことになるので
混雑も解消できるだろうと設置してみたようです。

もちろん混雑を解消するための動線整理は大切です。

しかし、今回の工夫は、ただ分散させるために
2箇所にしたのではなく、発達も考慮されています。

年間を通して一つの活動を見てみると、
年度当初から年度末までには、
子どもの能力は上がっていきます。

簡単に出来るようになったことを
いつまでも同じように続けさせるのは
無駄足を踏ませていることになります。

スムーズな発達を保障するためには、
子どもの発達の変化を見ながら
環境や内容が変わることが必要です。

今までは学年ごとの発達を考慮し
環境の変化を工夫をしてきましたが、
1年間の中での発達の変化に目を向けた
工夫の必要性に、私も今回気づかされました。

これをベースに今後も新しいアイディアが生まれ
更に、改良されていくことでしょう。

楽しみですね。

2011年11月10日木曜日

『見守る保育』(ちびっこランド)

ちびっこランド(幼稚園附設認可外保育所)
の子たちが築山で遊んでいました。

最近、あそんでいる姿をよく見ます。

一枚目の写真は、遊具の階段に先生がいます。
見守られながら子どもは登っていっていました。
そして、真ん中あたりに一人いますが、
ここは、階段がありません。
ただの斜面です。

2枚目の写真は、遊具の階段に先生はいません。
しかし、一人で登ってきています。 

3枚目の写真は、遊具の階段を一人で
登り終わったところです。 

築山は、小さな子たちにとっては、
危険が沢山考えられます。
しかし、子どもたちにとっての
魅力も沢山あります。

ドイツに行ってきたときも、
岩山みたいな所を
小さな子が平気で登っていました。

危ない危ないと大人の一方的な考えで
やらせないのではなくて、
登ろうとしているのであれば、
どのように登ろうとするのか?
どこまで登れるのか?

大人が考える危険を
どのように知っていくのか?

に目を向け

やってみて無理だったら
いつでも助けてあげるよ。
という温かい気持ちで見守ることが
子どもの発達のためには必要です。

100%の安全は、ありません。
生活や遊びの中にある危険を知って
自分でそれを回避していくしかないのです。

その能力を獲得するためには、
信頼関係からくる温かい見守りの中で
安心して何度も自らチャレンジできる
人や場などの環境が必要です。

2011年11月9日水曜日

先生主体<子ども主体(パンダルーム)

昨日、学童保育の子たちが
宿題をしているところを見ていました。

ある子が、「面倒くさい」と言いながら
算数と国語の宿題をしていました。

私も、勉強は大嫌いでしたので、
その子の気持ちがよく分かります。
みなさんも大半がそうじゃなかったですか?

「そうだよね、そうだよね。」と
言い分を聞いていましたが、
確かにごもっともなことを言っているなと
ふと思ったんです。

算数の宿題では「これやったことある」
「前に、はなまるもらったよ~」
「これ、簡単なんだけど面倒くさいんだよな~」

国語の宿題では、漢字の書き取りを
ただマスを埋めていくだけの単純作業
ですので、集中できていません。

子どもが、面倒くさいと思っていて意欲的でないこと。


簡単に出来るようになったことを
繰り返しやらされていてつまらなく感じていること。

ただこなせばいいという感じでやっていること。

先生は、この状況を知っているのか知らないのか、
ただ宿題をだして、やらせて、確認して終わり。
ではないかなと思います。


はたして、この宿題に、どのようなねらいがあるのでしょうか?

子どもは、強制的にやらせれば、
確かに多少はできるようになります。
たいがいの子は、詰め込んであげれば、
テストでもある程度の点数は取れるでしょう。

しかし、最近の教育は『生きる力』『確かな学力』
育むことを目的としているはずですよね。
詰め込まれた知識でテストで良い成績を出すのは
『確かな学力』ではありません。

小学校の学習指導要領が
どう変わってきているかは分かりませんが、
カリキュラムの問題だけではないような気がします。

『生きる力』『確かな学力』を育むためには
もっと子どもの特性や心理に目を向けた
工夫が必要なのではないでしょうか。

やらせたことで自己満足するのではなく、
もっと、子どもの『生きる力』『確かな学力』
育ちに目を向けて真剣に工夫を考えなければ、
子どもたちの未来は何も変わらないと思ってしまいました。


子どもを責めないでください。(先に言っておきます。)

更に、その子は家で宿題をするときは、
「隠れて、ゲームに付いている計算機でやっちゃうんだ。」
と言っていました。
私にも、覚えがあります。

計算ができなくても、計算機の使い方を知っていれば
まず、社会に出てからも困らないでしょう。

最低限の生活に必要な文字を知っていれば、
難しい漢字をしらなくても、困らないでしょう。

私たちも中学生くらいまでには、
みんな分かっていたはずです。
学校で習う授業の内容は、
社会に出てからほとんど必要ないことを。。。

しかし、なぜやらなければならないのかは、
私は、義務教育のうちは勉強もスポーツ(部活)も
人として大切なことを養っていくための
教育の方法の一つ
ではないかと考えています。

勉強をする事を通して、スポーツを通して、
何か大切なことに気づかせることができれば、
自分自身の力で社会の中に
何かを見出していけるようになっていくはずです。

ですから、興味も能力も発達段階も違う
子どもたちに応じて考えるべきことが
あるのではないでしょうかね。

子どもが、つまらなく感じないようにするには?
子どもが意欲を持つことができるようにするには?

先生主体で押しつけるのではなく、
子ども主体での工夫が生まれてこないかな。
と期待をしたいです。




※あくまでも、個人的な意見です。

2011年11月7日月曜日

「仕込み」や「やらせ」ではなく子ども主体

各学年で発表会に向けた話し合いが
先週あたりから行われるようになってきました。

最近のうちの園の発表会は、
何をやるかを先生が決めません。
練習も先生はやらせません。
ですので、『仕込み』もありません。

発表会で、何を発表したいかは
子どもたちが決めます。
先生は、子どもたちがやろうとしていることが
出来るように、年齢に応じた援助をするだけです。
去年のブログでも書いていますが、
発表会に必要なことは、

先生は、
1.優秀な脚本家になること
2.優秀な舞台監督になること
3.優秀な舞台演出家になること

そして子どもは
先生の望む演技ができる優秀な役者になること

では、ないはずです。

子どもたちが仕込まれた発表会で
見に来た大人を喜ばせ、
それによって園の評判を上げる。
これは、教育ではありません。

教育の目的は、「人格の完成」ですよね。
人間社会で生きていく上で必要な
人間性を身に付けていくことです。

幼児期は人格形成の基礎を培う重要な時期です。

仕込まれた高度なことを発表するのと

自分たちで考え、その目的を達成するために
自己表現したり、仲間と協力したり、
共に認め合ったり、ときにはもめたり
などの関わりを通して出来上がったもの
を発表するのとでは、

どちらが人格形成に大きな意味をもたらすでしょうか?

・・・・・・・・

最近は、いろんな楽器の音が
いろんな所から聞こえてきます。

年長さんでは、コーナーに置かれたハンドベルに
興味を持って練習していた子が
できるようになった曲を
帰りのお集まりで発表したらしいです。

みんなに認められ、本人の自信がついただけでなく
更に他の子たちへ興味が伝染しました。

次の日は、別の子たちが興味を持って
練習をしてできるようになった曲を
帰りのお集まりで発表したようです。

担任がお集まりでの発表を提案したことで
子どもの気持ちが発表会に
自然と向いていくような
アシストになりましたね。

ナイスアイディアだと思います。

2011年11月4日金曜日

選択性のある保育

ずいぶん秋らしくなってきました。
日中、肌寒さを感じる日も多くなってきましたね。

そこで、各学年でマラソンを
たまに、やってみる様になってきました。

体力作りの一環で毎年マラソンをおこなっていますが
子どもたち自らがマラソンに意欲を
持てるようになるための援助が重要だと考えています。

マラソン大会当日は、学年で決められた長さを
順位を争って走ります。

しかし練習では、走るか走らないか、
走る場合は長さを選んだりが
出来るようにしているようです。
強制的に『やらせる』ことで
精神的な苦痛が大きくならないように
先生たちが配慮しています。

子どもがマラソンで意欲を持ちやすいのは、
一つに、「順位」があると思います。
「○位になりたい!」という心理からです。

しかしこの作用は、上位の子たちには強く
下位の子たちには弱いように感じます。
ですので、下位の子たちが
意欲を持てるような工夫が求められます。

今は、まだ「始めてみた」とういう段階ですので
マラソンコースを知るために歩いてみたり、
走っても良いし、歩いても良いしと選ばせたり
年長さんは、各学年のコースを選んで走ったりと
子どもたちが主体的になれるようなアプローチを
いろんな先生たちが色々と考えているようです。

マラソンにおいても、子どもたちが
自分で選んで自分で決めることが
今後の子どもたちの「心の育ち」に影響してきます。

マラソンにおいて、子どもたちの目的は
それぞれが持った意欲によって違います。
1番になりたい!かもしれません。
○○ちゃんに勝ちたい!かもしれません。
昨日より速く走りたい!かもしれません。

しかし、先生の目的は?
子どもたちの持った意欲や心理を利用して
「苦しくて辛いことなのに、
自分の意志でよく頑張ったね。」
「順位は何番でも、その頑張りは
1番だったと思うよ。」と
結果ではなく、過程を評価してあげることです。
一人一人が頑張った気持ちに共感してあげることです。

過程を評価されたり、
気持ちに共感されることで
自尊感情が芽生え
自分自身の可能性を信じることが
出来るようになっていきます。

今の日本の子どもたちは、自尊感情が低い、
将来に対しての夢や自信を持っている割合も低い
と言われています。

この子たちが未来を
より良く生きていくために
育ててあげたいですよね。

『自尊感情』

『自信』

そして、

『夢』