発表会が無事に終わりました。
子ども主体の取り組み方をすると
子どもの育ちの段階も見ることができます。
やらされないで、どの程度できるのか
現時点でとのどこまできるのか
どのようにやろうとしているのか
子どものありのままの姿を見ることができます。
しかし
やらされていると、やらされてできている姿しか見えません。しかし
いつもやらせていれば、確かに良くできるようになります。
良く育っているように見えます。
しかし、やらされている姿ですので、本来の姿ではありません。
偽りの姿からでは、子どもたちに本当に必要な
環境や援助は見いだせませんよね。
偽りの姿からでは、子どもたちに本当に必要な
環境や援助は見いだせませんよね。
はたして、やらされてできる子で良いのでしょうか?
やらされてできている子は、
やらされなくなるとできなくなります。
やらされる=他律
自分の意思でできる=自律
教育の目的は、自律した人間を育てることです。
ですので、発表会だけに限らず、あらゆる面で
『仕込む』『やらせる』ことから卒業したのです。
『仕込む』『やらせる』ことから卒業したのです。
もうご理解いただけていると思いますが。
派手な演出をして高度な発表をさせようと
子どもを『仕込ん』で強制的に子どもに『やらせて』
では自律した人間は育ちません。
子どもを『仕込ん』で強制的に子どもに『やらせて』
では自律した人間は育ちません。
本来、大人の価値観でしか見れないのは寂しいことです。
大人の価値観を押しつけることは、大人にとっては
都合がいいですが、子どもにとっては不幸です。
発表会までの過ごし方に、
どんな経験が含まれていたか?
友だち同士が深く関わることで
人間性の育ちに必要な刺激が
どれだけあったか?
ということが重要ですので、『やらされる』環境よりも、
子どもが主体的に活動できる環境が必要になります。
子どもの育ちのニーズは今の結果ではなく、
先を見据えた上で今という過程を
どう過ごすかなんです。
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