うちの園では発表会だけでなく、普段から
子ども主体で保育を進めています。
先生がレールを敷き、子どもにその上を走らせるような
先生主体の保育では予想通りの姿しか見られません。
先生もそれで安心を得ているように感じます。
しかし、今現在の子どもの『生の姿』を捉えながら
子ども主体の環境を造り保育をしていくと
一斉保育や、管理保育では絶対に見ることが
できなかったと思える、子どもの良い姿が
たくさん見られるようになってきました。
残念ながら保護者の方々には、見えにくいですが。
人はロボットではないので、それぞれ個性があります。
ひとりひとり違うことが当たり前ですよね。
画一的な教育のもとでは画一的な集団である
ことしか認められなくなります。
そしてその枠から外れる子は
先生からも煙たがられます。
いじめの対象になりやすいのも、
画一性からはずれた子です。
身体的な特徴
外見的な特徴
行動的な特徴
などなど
みんなと違うことが攻撃の的になってしまいます。
さらに、大人の圧力などによって枠にはまることを
強制されていた子たちは、しだいにその枠から
出ようと反発するようになります。
大人が次ぎにとる行動は、以前よりも更に
強い圧力で押さえつけようとします。
そして、更なる反発が
自分には力があるんだとうことを
社会に反する行動をとることにより
示すようになっていきます。
また、圧力をかけられなくなると
その開放感から一気にはじけてしまいます。
このように考えると、いろいろな問題は、
画一的教育や管理教育
によって生まれているように感じます。
今、世界的に社会で求められている力の一つに
コミュニケーション能力があります。
人と関わることでしか育たない力です。
人間社会の中で人と関わっていくから必要な力です。
本人が身に付けていく力ですので
大人が関わりすぎては身につきません。
人間社会で生きていくために必要な力を
『確かな力』として育てるためには
大人が関わりすぎてはいけないのです。
だから子ども主体の保育が必要なのです。
保護者の方々には見えにくく評価されにくくても
我々には、はっきり見えています。
今のうちの保育が、そして更に近づこうとしている目指す保育が
『子どもの育ちのニーズに応える』
ことができると。
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